江戸時代から伝統を継承する老舗 | ||||
銘菓:近畿(47) | ||||
北海道 | 東北 | 関東 | ||
北陸 | 中部 | 中国 | ||
四国 | 九州 |
銘菓 | 滋賀県彦根市 |
いと重菓舗 1809年(文化6年)の創業以来、百八十有余年のときを超えていまに息づく菓匠の技。 山紫水明の湖国、近江は彦根の井伊家の城下町に伝統とともに愛され、育まれてきた歴史がここにあります。 |
滋賀県愛知郡愛荘町 |
御菓子司 しろ平老舗 創業1864年(慶応元年、幕末の新撰組 京都寺田屋事件の頃)中山道宿場町として外郎、他、本発酵の甘酒饅頭を提供して早や百四十余年、 歴史、時代とともに味覚の変化に対応しつつ、地元「銘菓米どころ」(大納言小豆使用、お餅入り最中)を発売して幾多の苦難の道をへて甘さ抑え目、甘み成分ブレンド法によって今日の低甘味時代にふさわしい銘品を創作し、皆様よりご好評を頂いており、益々、精進いたしております。 | |
京都市伏見区 |
月桂冠株式会社 月桂冠は、360余年前(1637)、京都伏見で創業。伏見のほか、灘やアメリカ・カリフォルニアでの醸造、輸入ワイン・ビールの販売も行っています。酒饅頭。 | |
京都市東山区 |
鍵善良房 江戸中期・享保年間(1716-1736)の創業以来、上菓子仲間の一軒として、 世情幾多変遷を経ながらも今日まで連綿と、京菓子一筋に努力致して参りました。 お陰様にて「菊寿糖」、「園の賑い」を初めとするお干菓子、又、お茶事用、御慶事用等の生菓子、 その他季節のもの等、皆様方から変わらぬご愛用を戴いて居ります事を厚く御礼申し上げます。 | |
京都市東山区 |
株式会社 甘春堂本舗 京菓子匠「甘春堂」慶応元年から京都に京菓子づくりの暖簾を守る老舗。 京の風情を感じさせる彩り豊かな京菓子を販売。 茶房「撓」では、和風建築の落ち着いた雰囲気の店内で、四季の京菓子をお召し上がりいただけます。 | |
京都市東山区 |
株式会社 五建外良屋
1855年(安政2年)初代 谷川重蔵が京都五条の建仁寺に六波羅蜜寺や清水寺詣のお客のために茶店を構えたのが創業の始まりである。「五建ういろ」。 | |
京都市北区 |
田丸弥 本店 江戸中期創業。煎餅。田丸弥の信条は、何よりも人間形成の道でなければならないとした茶禅一味の精神にて「菓子は人なり」菓子づくり の道もめざすところは同じで あると、三百六十五日を菓業に専念しております。 | |
京都市右京区 |
株式会社 井筒八ッ橋本舗 文化2年創業。京名物「井筒八ツ橋」は筑紫琴の祖八橋検校に由来します。 井筒八ツ橋本舗祇園店は舞妓さんのメッカ祇園に位置します。 四条河原は歌舞伎の発祥地であり、又お茶屋の立ち並ぶところで古都の中の古都であります。 | |
京都市右京区 |
亀屋重久 1802年(享和2年)創業、亀屋新兵衛として創業いたしました。 所在地は、京都の北西、重厚な伽藍と臨済宗の本山である「妙心寺」の北門前にあります。 近くには旧御室御所と言われる遅咲きの桜で有名な「仁和寺」徒然草の作者吉田兼好が一時、 庵をおいたとされる「双ヶ丘」足利家の廊所である「等持院」、石庭の「竜安寺」等があります。 | |
京都市左京区 |
本家八ツ橋西尾株式会社 創業元禄年間。八ツ橋は京都の代表的な銘菓として知られております。 本家八ツ橋西尾株式会社は「八ツ橋発祥の家」としての責任と誇りをもって独特な風味をもつ八ツ橋を代々継承してまいりました。 全国のみな様に心を込めた製品をご提供させて頂いております。 | |
京都市左京区 |
緑寿庵清水 慶応年間から金平糖を作り続けている緑寿庵清水。 金平糖は、一五四六年ポルトガルからもたらされた異国の品々のひとつで、 中でもひときわ美しく人々の目を引いたというお菓子で、織田信長も宣教師から贈られたそうです。 当時はとても珍しく貴重な品とされ、製造法はいっさい秘密でした。 日本で金平糖がつくられるようになったのは長崎から京都・江戸と広まってからで、それ以降皆様に親しまれるようになりました。 | |
京都市左京区 |
株式会社 聖護院八ツ橋総本店 元禄2年(1689年)黒谷参道の聖護院の森の茶店で、琴の形に似せた干菓子を、 「八ツ橋」と名付けて発売するようになりました。 これが「八ツ橋」の始まりといわれており、その場所が当社創業の地(現在の本店の場所)であります。 | |
京都市左京区 |
株式会社 平八茶屋
京懐石 山ばな平八茶屋、若狭街道(鯖街道)に面し、茶屋として天正4年(1576年)に創業。 江戸中期に萬屋(よろずや)を兼ねた麦飯茶屋、その後、宿屋を経て料理屋を営んでいます。 幕末には新撰組の切り込みに巻き込まれるなど歴史的エピソ−ドが数多く、壬生狂言では「洛北山鼻といえば平八、 平八といえば山鼻」と演じられています。夏目漱石や徳富盧花の小説にも登場し、京の風情ゆかしい料亭として広く知られています。 | |
京都市上京区 |
水田玉雲堂 文明九年(1477)創業。京菓子製造。 世は移り、人は変わりそしてまた、菓子もそれにつれ新しきものが生まれ古きものは姿を消していきました。 水田玉雲堂は、この何百年間「唐板」のみを作ってまいりました。永のご愛顧を厚くお礼申し上げます。 | |
京都市上京区 |
長五郎餅本舗 天正年間創業。 天正15(1587)年10月、九州平定を終えた豊臣秀吉は北野天満宮の松原で大茶会を催すことになり、 市中に高札を掲げて上下の別なく参加を呼びかけた。 長五郎も出店仲間に言われて茶屋を出し、秀吉に餅を献上したところ大層気に入られ、 「以後『長五郎餅』と名乗るべし」と命名されたという。 | |
京都市上京区 |
かま八老舗 文化3年(1806)、大宮寺ノ内に御菓子司として創業。昭和2年、3代目が西陣の真中に店を移しました。 「かま八」の名は、先祖が昔に茶釜を手掛けていたことに由来します。 商品数を絞り、一つひとつを丁寧に作るその姿勢が、西陣界隈はもとより遠方から訪れる人を魅了してやみません。 | |
京都市上京区 |
株式会社 鶴屋吉信 本店 鶴屋吉信は、江戸時代の享和3年(1803)の創業以来、代々皇室、茶道家元の御菓子御用を承るなど、豊かな京菓子文化の歴史を築いてまいりました。 | |
京都市中京区 |
植村義次 創業は明暦三年(1657)。創業時の屋号は「近江屋」で、初代・善兵衛は近江の出身であった。 当初から御所の斜め向かいに店を構えており、長きにわたって「御洲濱司」の暖簾を守り抜いてきた。 植村義次は、京都で唯一、「洲濱」を専門につくり続けてきた店である。 | |
京都市中京区 |
株式会社 本家尾張屋
「やんごとなき御方より召されて、山鳥の尾張の国より都にまいりしは、室町時代花の御所の時なり」と家譜に伝える本家尾張屋。 寛正六年(西暦一四六五年・応仁の乱の前年)に、菓子司として始まり次第に、そば処としても、京の町衆に親しまれるようになりました。 | |
京都市中京区 |
伊勢源六 たちばなや
1708年(宝永5年)創業。 京都市中京区堀川通姉小路上ルにて初代伊勢屋源六が京菓子の製造販売を始めました。 | |
京都市中京区 |
総本家 河道屋
享保八年(一七二三年)の時の町内の書き付けが残っております。 河道屋の蕎麦ほうるは「河道屋安兵衛」が、菓子舗で蕎麦を扱っていた頃をしのび、家伝の秘法を元に工夫を重ねて作り上げた銘菓です。 晦庵河道屋は江戸時代から続く生そばの老舗です。 | |
京都市下京区 |
本家 鶴屋長信 始祖は古く平安遷都の折、大和朝廷に従って入洛したとされています。 永禄年間(1558年〜)猿屋大和の名で創業し、元禄六年(1693年)に至り、大和大掾の官位を頂き、鶴屋長信と改称しました。 | |
京都市下京区 |
株式会社 俵屋吉富 宝暦5年(1755)創業。 龍吟ずれば 瑞兆の雲おこり 慶祝の気満ちるように銘菓『雲龍』をはじめ数々の俵屋吉富の京菓子は21世紀への大いなる旅立ちの年、 天を駆けのぼる辰年にふさわしい逸品と存じます。伝統の京菓子司の技を皆様でご賞味賜れば幸いでございます。 | |
京都市下京区 |
株式会社 笹屋伊織 享保元年(1716年)、京菓匠 笹屋伊織の歴史は、 伊勢市の城下町田丸で和菓子職人しておりました初代笹屋伊兵衛が、 御所のご用を仰せつかり、京へと呼び寄せられたことからはじまります。 | |
京都市下京区 |
株式会社 亀屋陸奥 亀屋陸奥(かめやむつ)の創業は応永28年(1421年)室町時代中期と伝えられています。 元亀元年(西暦1570年)に始まり、11年間続いた織田信長と石山本願寺(現在の大阪城の地) の合戦のさなか、当家三代目大塚治右衛門春近が創製した品が兵糧の代わりとなり、 信長と和睦の後に顕如上人が わすれては波のおとかとおもうなり まくらにちかき庭の松風と、京都六条下間(しもつま)邸にて詠まれた歌から銘を賜り、 これが「松風」のはじまりだと伝わっています。 | |
京都府城陽市 |
御菓子司 松屋 その昔(江戸時代)道中の旅籠として栄えてまいりました弊店は、1910(明治43) 年和菓子店として創業、歴史的・地理的に恵まれた土地柄を大切にしながら、真心とともに某道一筋に専心してまいりました。 | |
京都府京丹後市 |
木下酒造有限会社 天保13年 江戸時代後期 ヨーロッパ・アメリカの覇権に開国をせまられ幕府が揺れていた頃、5代目木下善兵衛が創業しました。酒饅頭。 | |
京都府福知山市 |
有限会社 名門堂千原 創業は慶長十六年(1611年)。干し柿を甘味にした小豆あんの懐かしい餅菓子「里柿」。 | |
奈良市 |
株式会社 萬々堂通則 江戸後期の創業。寧楽の心を映し出す萬々堂通則の和菓子。奈良には古より熟成された豊かな情感が宿っています。 古都の風趣 をお菓子に託し、受け継ぐ萬々堂通則のお菓子。 | |
奈良県大和郡山市 |
株式会社 本家菊屋 大和郡山の西北に聳える郡山城は天正7年頃筒井順慶が築城を始めし事が古い記録に見える。 豊臣秀長が天正12年入部後築城が本格的に行われ二代秀保を経て次の城主増田長盛の次代に完成した その間実に20年を要したとある。店祖菊屋治兵衛は当時の城主の御用菓子司として 郡山城大手門の入口なる現在の地に店舗を構えお菓子を造り始める。 | |
奈良県大和郡山市 |
株式会社 丸和栄養食品 慶応4年 初代綿屋宇兵衛 綿及びタバコの栽培加工、並びにきざみ昆布の製造販売。昆布飴(あめ)製造会社。 | |
奈良県桜井市 |
株式会社 白玉屋栄壽 名物「みむろ」は弘化年間弊舗の祖 初代 白玉屋栄寿が創めました。 この最中に「みむろ」と命づけましたのは 本舗の守護神 三輪明神 大神神社の御神体山 三諸山に因んだもので 畿内の人々に大和上街道の宿場町の銘菓として特産大和大納言小豆の香り高き餡より醸し出される。 | |
和歌山市 |
株式会社 駿河屋 総本家駿河屋、寛正2年(1461年)、初代岡本善右衛門が京都伏見の郊外、舟戸の庄に「鶴屋」の屋号で饅頭処を開いたことに始まります。 この創業の地の伏見に豊臣秀吉が伏見城を築城し、また、南蛮菓子や砂糖の伝来、さらには茶道の興隆により、 和菓子の製法への変革を迫られ、そのことが鶴屋の繁盛に大きく寄与しました。 蒸羊羹を改良して作られた「伏見羊羹」(天正17年、1589年発売)は、秀吉の大茶会で諸侯に引き出物として用いられ絶賛されました。 | |
大阪市中央区 |
株式会社 鶴屋八幡 弊店は文久3年(1863年)に大阪は高麗橋に暖簾を掲げ、その後昭和35年には東京店として現在の千代田区麹町に店舗を構えました。 鶴屋八幡という屋号は、初代の自宅庭に鶴が巣を作った瑞祥と、開業に際して原材料の面で支援をいただいた八幡屋さんの恩を忘れまいとしたことによるものです。 | |
大阪市中央区 |
株式会社 菊屋 創業、天正年間(1580年頃)。「老舗というのは、ただ創業が古いというだけのものではない」 天正十七年(1589)、 時の都、奈良・大和郡山の城下町で、店祖・菊屋治兵衛が和菓子の製造、販売を始めたのが『菊屋』の起こりである。 | |
大阪市中央区 |
有限会社 庵月堂 御菓子司 庵月、慶応4年(1868年)伊藤博文公ゆかりの料亭、神戸相生町常磐花壇の一統として前田為次郎が常磐堂の屋号で高級和菓子の製造を始めました。 | |
大阪市中央区 |
株式会社 つのせ 宝暦2年創業、二ツ井戸津の清。創業二百五十年の自信が生んだ粟おこし。技は浪速の伝統芸。 素材は日本古来の自然のめぐみ、おこしの歴史を大切に。あたらしい美味創造を懸命に。 | |
大阪市中央区 |
浪芳庵株式会社 1858年7月23日創業。安政5年(1858年)、現在の道頓堀の西の外れにかかっていた浪芳橋のたもとにて、初代河内屋秀治郎が焼き餅を販売。浪芳橋の歴史はここからはじまりました。 | |
大阪市西区 |
株式会社 あみだ池大黒 創業文化2年(1805年)大阪名物の「粟おこし」「岩おこし」焼き菓子 あられ そばぼうろ等の和菓子 チョコレート菓子等の洋菓子の製造販売。 | |
大阪府堺市 |
株式会社 かん袋 かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。 室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。 明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。 お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。 | |
大阪府貝塚市 |
村雨本舗 塩五 初代塩屋五兵衛は、それまで代々、干菓子やニッキ餅などを作って商売をしていた泉佐野の地をはなれ、貝塚で新たに菓子屋を開業しました。 それが、江戸時代末期、幕末の安政元年(西暦1854年)のことです。当店では、この年をもって創業の年としております。その名から『塩五』と呼ばれました。 | |
大阪府堺市 |
株式会社 小島屋 江戸・延宝年間に小島屋と称して堺市少林寺町においてけし餅の製造を創める。 創業320年の伝統を持つ「小島屋のけし餅」は大阪・堺の銘菓として知られ、お茶の席はもとより贈答品としても喜ばれる上品な和菓子です。 | |
兵庫県西宮市 |
千鳥屋大阪総本店
寛永七年(1630)創業。千鳥饅頭・丸房露・千鳥さぶれ・かすていら。本店は、大阪市中央区。 | |
兵庫県豊岡市 |
株式会社 播磨屋本店 幕末の文久年間(1860年ごろ)に、初代播磨屋助次郎(現代表の私は5代目)が始めた油屋(灯明油の販売)がルーツです。 | |
兵庫県赤穂市 |
総本家 かん川 自然の恵みを銘菓へと昇華させた名匠 藤治郎親子の秘伝の技を今に受け継ぎ、 三百余年の歴史とともに研鑽を重ねつつ日本の菓子文化に貢献する老舗として、 総本家 かん川 のあゆみは続きます。 総本家かん川の「しほみ饅頭」は、播州赤穂浜の名塩をかくし味にもつ兵庫県の代表的な銘菓です。 | |
兵庫県赤穂市 |
元祖 播磨屋 創業は明和年間(1764〜)嘉永6年(1853)、当主、時三郎が赤穂の海に沈む半円の美しい夕日の情景に感銘を受け、純白の赤穂の塩、その幻想を饅頭に取り入れんとし、白砂糖と寒梅粉で、塩で甘さを抑えた独特の餡を包み、清楚な姿の『汐見まん志う』を創製しました。汐に映える夕日から命名したと言われています。 | |
兵庫県たつの市 |
御菓子司 櫻屋
創業嘉永3年(1850年)、代々伝わる伝統の銘菓をお届けします。和菓子は人の人生において、欠かす事のできない名脇役です。 お祝いや法要など、我々の一生と強く結びついています。真心こめた手作りの和菓子だからこそ、人とのふれあいを生むのです。 | |
兵庫県明石市 |
富士の山菓舗 六代にわたり受け継がれた看板の味 初代利右衛門富士登頂記念!『雲踏んで 行くも尊し 不二詣で』 富士の形をしたせんべいは安政3年、初代利右衛門(りえもん)が富士山に登った感動を記念菓子として思案したもの。 黒ごまと生姜砂糖の懐かしい風味は六代にわたり守りつづけてきた看板の味です。江戸時代の味。 |