江戸時代から伝統を継承する老舗 | |||
酒造:北陸(63) | |||
北海道 | 東北 | 関東 | |
中部 | 近畿 | 中国 | |
四国 | 九州 |
酒造 | 新潟県新発田市 |
市島酒造株式会社 創業:1790年代(寛政年間)以前、宮尾登美子作の小説「蔵」が映画化された際、作者が参考に市島酒造を訪れたそうです。 また、日本初の女性技能士第一号の椎谷さんはこの市島酒造から誕生しました。 |
新潟県阿賀野市 |
越つかの酒造株式会社 JR水原の駅より、南へ6キロほど離れた北蒲原郡水原町分田。 この地に天明の初め(1781年頃)塚野家の初代・塚野丈左衛門義照が陣屋の出店「河内屋」を名乗って酒造りを始めたものが『塚野酒造』の始まりとされています。 | |
新潟県阿賀野市 |
白龍酒造株式会社 創業は江戸時代の1839年(天保十年)、越後の酒造業者は地主の開業が多い中、当家は北前船でにぎわう湊町新潟で北海道と交易する回船問屋から分家し、当時の北海道で必要としている新潟からの主要物産である酒を製造する酒造業を開業しました。 | |
新潟県新潟市 |
福井酒造株式会社 寛永16年(1636年)は徳川幕府が長崎に出島を築いた年にあたります。 その年から当酒蔵によって醸した酒を、越後三根山藩主に献上したという記録があります。 | |
新潟県東蒲原郡阿賀町 |
麒麟山酒造株式会社 創業は江戸後期の文政年間(1818〜1830年)、今から約180年前で当時は木炭生産販売業を主な家業としていました。 | |
新潟県五泉市 |
近藤酒造株式会社 慶応元年(1865年)大和屋和吉が酒を醸す、後に「大和屋」は屋号に「和吉」は代々襲名。 | |
新潟県長岡市 |
柏露酒造株式会社 1750年代の創業から250年、越後長岡(新潟県長岡市)にて激変する歴史の中をくぐりぬけ、酒という食文化の一端を担ってきました。 そしてこの間、1882年には「柏露」の由来となった長岡藩主牧野家の酒造蔵を譲り受け、同家の「三つ柏」紋の使用と商品名「柏露」を継承するという出来事もありました。 | |
新潟県長岡市 |
吉乃川株式会社 吉乃川は越後(新潟県)長岡市にある醸造元です。四国に同じ名前の川があって間違えられがちですが、そもそも名前の由来は15代当主が 母「よし」の功績をたたえて母なる川「信濃川」とあわせたことに始まります。創業は1548年(天文17年)と古く、蔵元は上杉氏のゆかり。 | |
新潟県長岡市 |
美の川酒造株式会社
美の川酒造は文政10年(1827)、祖先が城下町長岡で「美濃屋」として酒造りを初めて以来、酒造り一筋に歩んできました。 | |
新潟県長岡市 |
朝日酒造株式会社 1830年(天保元年)創業。新潟を代表する酒造会社として高品質の酒づくりは、 もちろんのこと「ほたるの里づくり」「もみじ園の整備」「文化講演会」など、 新しい故郷づくりや文化活動等、幅広い活動をしている会社です。 | |
新潟県長岡市 |
高橋酒造株式会社 高橋酒造は安政年間(1854-59)に初代七之助により創業されました。 蔵の脇を流れる一級河川の栖吉川(すよしがわ)の伏流水と蔵周辺の穀倉地帯からの米を利用しての酒造りが始まりと言われます。この当時の銘柄は「玉雪」と「兜城」でした。 | |
新潟県長岡市 |
諸橋酒造株式会社 『越乃景虎』醸造元の諸橋酒造株式会社は弘化4年(1847年)創業という、150年以上の歴史を持つ蔵です。蔵のある新潟県栃尾市は新潟県のほぼ中央に位置し、豊かな自然に恵まれた山紫水明の地です。 | |
新潟県長岡市 |
住乃井酒造株式会社 宝暦8年(1758年)の創業以来、酒造り一筋に歩んできました。清酒製造業、みりん製造業。 | |
新潟県長岡市 |
河忠酒造株式会社 明和2年(西暦1765年)創業。酒の銘である「想天坊(そうてんぼう)」の由来は、当蔵の地元「長岡みしま」の昔話に出てくる伝説の山の名前です。 「天(天候や自然現象)を想う坊(人 、町)」という意味にも採ることが出来るので地元産米と水で醸した酒には最高の名前と思い採用しました。 | |
新潟県長岡市 |
池浦酒造株式会社 この蔵元の創業は天保元年(1830年)。代々が庄屋であったが、屋敷内の見事な日本庭園を見ると風雅を愛する心が受け継がれてきているのがわかる。 中でも最も文化的な人物だったのが、先代の隆右衛門氏である。 | |
新潟県南魚沼市 |
玉川酒造株式会社 家督を相続したばかりの守門村割元庄屋 目黒五郎助が二人のお共とともに出発したのは寛文13年(1673年)の如月の27日である。 | |
新潟県南魚沼市 |
青木酒造株式会社 1717年創業以来、約300年絶える事なく醸し続け、約2,000石の酒を「日本酒は寒造りが最高」と言われる冬期間だけで仕込み、雪のもたらす様々な恵みと越後杜氏の伝統の技、あくまで手造りに徹した正統蔵です。 新潟の酒は、淡麗辛口が多い中で、酒本来の旨みを残した酒造りを目指しております。 | |
新潟県南魚沼郡湯沢町 |
白瀧酒造株式会社 白瀧酒造の始まりは、今を遡ること約140年前。時は安政2年。 ペリーが来日して日米和親条約が結ばれた翌年のこと。初代の湊屋藤助は湯沢の宿、谷地に湧く豊富な清水で酒づくりを営んだとのことです。 | |
新潟県柏崎市 |
原酒造株式会社 文化11年(1814年)初代原幸太郎現地に酒造業を起こす。 | |
新潟県上越市 |
田中酒造株式会社 昔より田中屋の屋号が「能登屋」だった事からその屋号の頭一字「能」を取り、そして、「能ある鷹は爪をかくす」という格言の中から「鷹」の文字をいただき「能鷹」と命名した。昭和18年のことでした。 創業は寛永20年(1643年)といわれ、北陸街道の要路であり、加賀、越前、越中諸侯の参勤交代の通り道であった昔からの酒屋だった。当時の酒銘が「公乃松」であった事からも諸侯に何らかのかかわりあった酒屋であった事が窺える。 | |
新潟県上越市 |
妙高酒造株式会社 創業は文化12年(1815)。この伝統を土台に、厳選された原料と創意工夫に満ちた酒造りの思想で個性豊かな酒を生み出します。 | |
新潟県上越市 |
合資会社 竹田酒造店 創業は慶応2年(1866)。「潟舟(かたふね)」は幕末頃の創業の頃よりの名で、砂丘に点在する「潟」と「上小舟津(かみこふなづ)」(漁舟の船着場)の「舟」に由来します。 | |
新潟県上越市 |
加藤酒造株式会社 創業は1864年(文久4年)2月。どこでもどんな時にもだれにでものみやすく、心をいやしてくれるお酒です。 | |
新潟県妙高市 |
君の井酒造株式会社 天保13年(1842年)創業。創業当時は、越後高田藩榊原領内頚城郡新井村に造り酒屋は7〜8軒あった。造り高はいずれも二百石程度と伝えられる。 | |
新潟県妙高市 |
千代の光酒造株式会社 江戸中期創業。日本有数の豪雪地帯ですが、酒造りには恵まれた環境です。米本来のうま味をいかした酒をめざしています。 | |
新潟県三条市 |
ふくきん本店 当店は新潟県のほぼ中央、三条市にあります。創業は明治以前、いわゆる老舗の部類に入るのでしょう。 現在は店主の私と妻、私の母の3人で「酒屋」を営んでおります。 | |
新潟県糸魚川市 |
加賀の井酒造株式会社 創業は江戸時代の慶安3年(西暦1650年)。代々の当主は、各地の酒蔵へ出向き最新の酒造技術の収集に務め、いつの時代も本物の酒造りを目指して今日に至っています。 承応元年(1652年)、加賀三世前田利常公の時、当地に本陣が置かれ、その時に利常公より酒銘『加賀の井』は命名された。 | |
新潟県佐渡郡真野町 |
尾畑酒造株式会社
元禄年間創業。「真野鶴」。佐渡・真野町は良質な水があり、3つの蔵元を有することから1983年アルコール共和国として独立しました。 真野鶴醸造元、尾畑酒造はその共和国の中心的存在として、新潟県で最初に酒蔵見学を始めた蔵として知られています。 | |
富山県富山市 |
福鶴酒造有限会社 当蔵は嘉永元年に創業し、全体的になめらかな味の線を大切にした、口当たりのやわらかい酒を造る事をモットーにしています。 | |
富山県富山市 |
玉旭酒造有限会社 当酒蔵は1808年(文化年間)創業で、約二百年の歴史を持つ老舗です。越中八尾で毎年9月に催される“おわら風の盆”とともに歩んでまいりました。 | |
富山県下新川郡朝日町 |
林酒造場 創業者は加賀藩の関所に与力として勤め、傍らに酒を造ったのが寛永3年とされています。 代表酒の「黒部峡」の酒名は、北アルプス立山連峰より流れる雪解け水と黒部峡谷に霧が流れる山水画をモチーフにイメージして作られました。 創業200余年の伝統と英知を結集した昔ながらの寒造り。蔵人杜氏の一心の自戒により真心こめて芳香美味に醸した自信作ばかりです。 | |
富山県砺波市 |
若鶴酒造株式会社 若鶴の創業は文久2年(1862年)にさかのぼります。以来百数十年、酒造りの精神は一貫して品質本位。選びぬいた米と米麹、清澄な庄川の伏流水。 | |
富山県砺波市 |
立山酒造株式会社 文政13年(1830年)井波町新明屋仙助が幕府より酒造株の所持を許可されたのが始まり。明治37年には酒造石高が約2,000石で当時より県下1位の酒造石高であった。 | |
石川県珠洲市 |
宗玄酒造株式会社 創業は明和五年(1768年)。当初より地域の人々からは、蔵元の宗玄家の名をとって「宗玄酒」と呼ばれ親しまれてきました。 | |
石川県鳳珠郡能登町 |
数馬酒造株式会社 江戸時代より味噌・醤油の醸造を生業としていましたが、その仕込み水が酒造りに好適であったことから酒造りを開始。 | |
金沢市 |
株式会社 福光屋 福光屋の発祥ははるか江戸時代にさかのぼる。 永安のころ、越中・福 光 町よりひとりの男が加賀の国、金沢にやってきて石引町(現在地)にある寛永2年(1625)創業の酒蔵を買い取った。初代・塩屋太助である。 二代目の太助が「塩屋」の屋号を先代の出身地の名をとって「福光屋」と改めた。 | |
金沢市 |
中村酒造株式会社 中村酒造が醸す「日栄」は、創業文政年間以来、”加賀菊酒の本流”として、その酒づくり技を継承。吟醸、純米、本醸造とそれぞれの酒質の旨さを追究。 | |
金沢市 |
やちや酒造株式会社 天正十一年(1583年)、創始者「神谷内屋 仁右衛門(かみやちや じんうえもん)」が、殿様専用の酒造りをするため、加賀百万石の藩祖前田利家公のお供をして尾張の国から移住したのが、やちや酒造のはじまりです。 | |
石川県河北郡津幡町 |
株式会社 久世酒造店 創業天明六年(1786年)以来、自社の田にて独自の酒米(長生米)を作り、その米で酒造りを致しております。 | |
石川県加賀市 |
鹿野酒造合資会社 文政2年(1819)創業以来、こだわりぬいた加賀地酒を造り続けてまいりました。 平成10年より能登杜氏 四天王の一人、農口尚彦氏を迎え「常きげん山廃仕込み・純米酒」や「特別純米・幻の加賀の庄」など鹿野酒造を代表するお酒も誕生しています。 | |
石川県加賀市 |
橋本酒造株式会社 天正年間に起源をもつ橋本家は四百年近くの歴史があります。新旧の和風建築が江戸や明治の風情を醸しだし、懐かしさと新しさ、先人の進出の気質、過去に人々が往来したであろう様子が建物のあちらこちらに見てとれます。 | |
石川県加賀市 |
松浦酒造有限会社 山中温泉で、松浦酒造は創業安永元年(1772年)、江戸時代より酒蔵を始めました。大吟醸、獅子(しし)の里。 | |
石川県輪島市 |
中納酒造株式会社 1849年(嘉永2年)18代当主治良三郎が地主であった当時、米をそのまま売るより酒にして売った方がいいのではないかと思いつき、 通称「若桑山」から湧き出る清水が笹色をなし、たいへんおいしいと評判の水を使って濁酒をつくり始めたのが最初で、当初は「緑酒」として販売を始めたそうです。 | |
石川県輪島市 |
白藤酒造店 1722年廻船問屋として創業、質屋を経て、江戸時代の末期から酒造りを始めました。 廻船問屋時代の屋号「白壁屋」より白を、重陽の節句にある「菊酒」より菊をいただき『白菊』と命名、現在は全国の「白菊」と区別するため『奥能登の白菊』という商標になっております。 | |
石川県輪島市 |
株式会社 清水酒造店
文久2年(1862年)創業。創業者が杜氏であったと言う異色の蔵元。輪島の地酒「能登誉」は、初代がこの地で酒造りを始めて以来 130年あまりたっています。 “能登を代表する誉れ高い酒となるように”と命名されたのは、昭和25年で主に輪島を中心の能登の皆様に支持を頂きご愛飲いただいております。 | |
石川県松任市 |
株式会社 車多酒造 創業文政6年。天狗舞は古来の酒母造りの流れをくむ山廃仕込に、独自の製法を加味し、良質で力強い旨みのある酒を醸し続けています。能登杜氏四天王が一人、中三郎が醸しだす、石川を代表する酒。 | |
石川県白山市 |
菊姫合資会社 創業、天正年間(1573〜91年)。石川県鶴来町にある菊姫は、富士山、立山と並ぶ日本三名山の一つである白山連峰の麓にある。 古来から、芳醇な美酒と呼ばれてきた「加賀の菊酒」は、「太閤記」が伝えるところによると、豊臣秀吉が醍醐の花見に、是非にといってわざわざ取り寄せたという天下の銘酒。 | |
石川県白山市 |
和田屋 現在の主人が六代目に当たる和田屋は、前田藩時代の創業で 別称「柳茶屋」として親しまれてまいりました。 まず待屋でのおもてなしは囲炉裏端です。自在鉤、大きな柄のついた鉄瓶、端から吹き出す木の息、そのひとつひとつが和田屋ならではのゆかしい趣です。 | |
石川県白山市 |
株式会社 小堀酒造店 享保年間(1716〜1734)創業。小堀家の初代は、この鶴来の地で享保年間(1716〜1735)に、酒造と塩物の商いをはじめた小豆屋甚兵衛であったとされています。 当時は細々としたものであったようですが、とにかく江戸を乗り切り、明治以降も存続し、酒造技術が確実性を備えるようになる時代まで営業できたことは、大きな幸運であったといえます。 | |
石川県小松市 |
合資会社 東栄松商店 「神泉」で知られる石川県小松市の造り酒屋東酒造。創業は万延年間で、約140年たちました。現当主は五代目となり、大正年間は県内には酒蔵は三百社近くありましたが、十指に入る蔵でした。 | |
福井県坂井市 |
久保田酒造合資会社 宝暦三年(1754年)当時の丸岡城主・有馬 允純(ますずみ)の命により現在地で庄屋をしていた久保田喜兵衛が創業した。 | |
福井県吉田郡永平寺町 |
吉田酒造有限会社 吉田酒造の誕生 白龍の創業は、江戸時代の文化3年でした。吉田酒造の始祖となる志比の庄浅見村の吉田忠左エ門が、 1806年(文化3年)同じく志比の庄北島村で酒造りを営んでいた佐藤家から親戚という事で”白龍”を引継ぎ、酒造りの道を歩み始めました。 | |
福井県吉田郡永平寺町 |
黒龍酒造株式会社 初代石田屋二左衛門により文化元年(1804年)に創業されて以来、酒質の向上を常に目指して参りました。 | |
福井県福井市 |
田嶋酒造株式会社 1840年頃、丹生郡にて創業。現在は福井市桃園町(福井市のシンボル足羽山と足羽川のほぼ中間に位置する)にある小さな蔵です。 | |
福井県福井市 |
常山酒造合資会社 先祖は元和7年(1621)に綿屋を営んでいた福井松平藩の御用商人。その後、藩公認の両替商になり、文化元年(1804)に現在の場所に移って酒造業を始めた。現在7台目です。 | |
福井県福井市 |
舟木酒造合資会社 慶応2年の創業で代々舟木三右衛門を襲名し現当主4代目。当主が吟醸造りを始めたのは県内でも最初で、蔵の設備、技術研究に熱心で現在に至っている。 | |
福井県大野市 |
株式会社 宇野酒造場 元和5年(1625年)、初代麦屋仁兵衛が創業し、現在二十代目に至る。平成八年、完全冷房蔵に改築。 | |
福井県大野市 |
源平酒造株式会社 創業は江戸延宝元年で酒造業と漢方薬の販売を営んでおり、大野士井藩時代に大野屋の出店受け120石の酒類鑑札を持っていました。 江戸時代は藩御用達酒、万寿屋の酒として販売しておりました。 | |
福井県大野市 |
有限会社 南部酒造場 初代、七右衛門が享保十八年(1733)金物を扱う大野藩の御用商人として開業。明治三十五年造り酒屋に改業し創醸百年。平成13年、酒蔵五棟、文化財として登録される。 | |
福井県大野市 |
真名鶴酒造合資会社 江戸時代中期、宝暦元年(1750年)当地にて創業。当時の銘柄は亀の尾。江戸時代後期になり、蔵の奉公にきていた蔵人が酒造りに非凡な才能を発揮し、銘酒亀の尾の名声を高めた。 この蔵人が初代泉善助として蔵を引き継ぎ、後に銘柄を真名鶴と改め現在に至っている。 | |
福井県丹生郡越前町 |
朝日酒造株式会社 享保3年に酒造りを始めました。 緑豊かな自然が育む水と米、そして日本海の旨い肴。恵まれた越前の地で約300年営々と酒つくりに生きてきた酒家、朝日酒造です。 | |
福井県南条郡今庄町 |
畠山酒造有限会社 創業天保6年(1835年)以来160余年、蔵は山々に囲まれた越前の田舎、福井県今庄町『雪国』北陸の中でも屈指の豪雪地で、北国街道の要地として古くから栄えた宿場町です。 | |
福井県越前市 |
寿喜娘酒造有限会社 私共のご先祖様は元治元年(1864年)ここに蔵を構えさせていただきました。 雪深く弥陀も舞ふかや寿喜娘 水上勉 こううたわれている「寿喜娘」は、私共の代表酒銘で、まごころを込めて漉き上げる清純な紙漉く娘の姿にちなんで名付けられました。 |