江戸時代から伝統を継承する老舗 | ||||
料理:近畿(40) | ||||
北海道 | 東北 | 関東 | ||
北陸 | 中部 | 中国 | ||
四国 | 九州 | 九州 |
料理 | 滋賀県高島郡マキノ町 |
魚治 天明四年(1784年)創業。琵琶湖特産のニゴロブナを漬け込んだ鮒寿しが有名。 |
滋賀県高島郡マキノ町 |
湖里庵 「湖里庵」は江戸時代創業の鮒ずし店・魚治が経営するお店です。 宿場町として港が栄えていた頃から魚治は、鮒すしをはじめ、 季節に捕れるたくさんの湖魚たちを美味しく食していただこうとお客様をお呼びしておりました。 | |
滋賀県大津市 |
株式会社 阪本屋 元祖阪本屋、江戸時代膳所藩(本多氏)の御用料亭でありました阪本屋は鮒ずしも得意としており、藩から将軍への献上品としても利用されておりました。 鮒ずしの商品化に県下でも最初に成功し、鮒ずし専門の阪本屋分店として現在地(札の辻・長等)にて開業させて頂きました。 | |
滋賀県大津市 |
有限会社 臨湖庵 創業400年の歴史を持つ山形屋重右衛門。別名「鰻の山重」 。旅館業、飲食業、観光業、土地開発業等。料亭 山形屋重右衛門。 | |
滋賀県愛知郡愛知川町 |
竹平楼(たけへいろう) 宝暦8年創業。初代平八が「竹の子屋」の屋号で旅籠を営んだことに始まります。 明治十一年、三代目の平八の時に明治天皇が、民情視察のため北陸東山道をご巡幸なされ、当家にお立ち寄りになりました。 その時に侍従長の岩倉具視をはじめ大隈重信、井上馨、山岡鉄舟など明治を築いた重鎮の方々もお伴でお越しになったと伝え聞いております。 | |
滋賀県蒲生郡竜王町 |
岡喜本店 1839年創業。岡喜本店は今を去る160有余年前、天宝10年、江戸末期黒船の来航で世の中が騒然としている中、初代(庄七)が当地において牛馬の商いを行ったのに始まります。 「岡喜商店」発祥の地、蒲生郡竜王町山之上は、近江の中心琵琶湖の東に広がる湖東平野のやや南部に位置します。 岡喜では豊かな自然環境の中で、より美味しい近江牛づくりのために、伝統の飼育技術を更に磨いてお客様のご期待に応えたいと日夜精励しております。 | |
京都府向日市 |
京料理 矢尾卯 西国街道に面した当店では、創業以来200有余年、京料理・寿司・仕出しの老舗として皆様にご愛顧頂いております。 | |
京都市 |
京都料理組合 京都料理組合の始まりは、今から260年前に結成された「魚鳥講」という組織であるといわれています。 「魚鳥講」の唯一の手がかりは、左京区の金戒光明寺の境内にある銅製の地蔵尊で、明治44年に建てられました。 その台石の碑文によると、魚鳥講は江戸時代の延亭2年(1745年)に作られ、明治維新後「三店(さんたな)講」と改名、それを「魚鳥商」に改めた記念に建てた、とあります。 | |
京都市北区 |
大徳寺一久 文明年間。殊に茶の本山と云われる紫野大徳寺の和尚様方より辛甘鹹酸苦の五味の案排の秘法を授かり名も一休禅師より一久と給りしと言伝へ大徳寺精進料理方として五百有余年を過してまゐりました。 大徳寺納豆。大徳寺精進料理。 | |
京都市北区 |
田丸弥 本店 江戸中期創業。煎餅。田丸弥の信条は、何よりも人間形成の道でなければならないとした茶禅一味の精神にて「菓子は人なり」菓子づくり の道もめざすところは同じで あると、三百六十五日を菓業に専念しております。 | |
京都市中京区 |
本家尾張屋
寛正6年(西暦一四六五年・応仁の乱の前年)に、菓子司として始まり次第に、そば処としても、京の町衆に親しまれるようになりました。 | |
京都市中京区 |
一子相伝 京の味 なかむら (ぐるなび) 創業以来、百八十年。綿々と受け継がれた京料理。伝統の中にキラッと光るものを感じて頂ければ幸いです。 | |
京都市左京区 |
株式会社 平八茶屋
京懐石 山ばな平八茶屋、若狭街道(鯖街道)に面し、茶屋として天正4年(1576年)に創業。 江戸中期に萬屋(よろずや)を兼ねた麦飯茶屋、その後、宿屋を経て料理屋を営んでいます。 幕末には新撰組の切り込みに巻き込まれるなど歴史的エピソ−ドが数多く、壬生狂言では「洛北山鼻といえば平八、 平八といえば山鼻」と演じられています。夏目漱石や徳富盧花の小説にも登場し、京の風情ゆかしい料亭として広く知られています。 | |
京都市左京区 |
株式会社 瓢亭 元禄の中期南禅寺境内の茶店として始まり、天保八年料亭ののれんをかかげた。 料理一筋百五十年懐石料理の高級老舗として他府県にまで知れわたり、文人墨客 の出入が多い。 ”朝がゆ””うずらがゆ”ともに瓢亭の名物料理の一つ。 | |
京都市左京区 |
下鴨茶寮株式会社 安政三年創業。京料理と茶懐石の下鴨茶寮(しもがもさりょう)を営む佐治(さじ)家は、 平安朝のころから下鴨神社の包丁人を代々、 務めて来たと伝えられています。 朝廷からのおつかいである勅使を饗応するための料理をつくる、 重い役目をになって来ました。 江戸時代の安政年間、 神社に参拝される方々のお休み所を参道脇に開いて、料理を提供するようになりました。 | |
京都市左京区 |
京料理懐石 大喜久 創業元禄十三年 京料理店開業昭和八年。 山々や庭の木々が季節の声で皆様を静かに優しくお迎え致します。 喧騒を離れた山荘の趣の中でごゆるりと京料理と季節の風情を存分にお楽しみ下さいませ。 | |
京都市左京区 |
ゆどうふ 順正 順正書院は天保 10 年 (1839 年)、新宮涼庭先生によって開設された学園で、当時の京都所司代、鯖江藩主・間部詮勝の命名によるものです。 | |
京都市右京区 |
平野屋 享保年間創業。 愛宕山神社は、古より火の要慎の神として崇拝され大勢の参詣者で賑わっていました。平野屋は400年前から、愛宕神社への茶屋として、一の鳥居に寄り添って歴史を重ねてまいりました。 平野屋は、その他にも鮎問屋を商いながら、あまご鯉などの川魚料理が参詣者の人気を博したといいます。また松茸、柚子など四季折々の食材で旬の味を供してまいりました。 | |
京都市上京区 |
有限会社 萬亀樓 当店は、京都西陣の一角にあります。創業は享保7年(1722年)で、初めは造り酒屋(萬屋)を営み、後に料理屋となり屋号を「萬亀樓」と改め285年になり、当代で9代目になります。 又、御所ゆかりの生間流式庖丁(当代29代目生間正保)・有職料理を正式に継承しております。 | |
京都市上京区 |
大市株式会社 すっぽん料理「大市」は元禄年間(江戸中期)、初代 近江屋定八が創業いたしましてから、約330年もの間、すっぽん一筋に17代続いた老舗です。 | |
京都市上京区 |
西陣魚新 (ぐるなび) 安政二年創業の当家も、御所の大礼使御用として響膳に奉仕する栄誉にあずかり、 以来、有職司としての伝統を今日まで伝えてまいりました。 | |
京都市東山区 |
京料理 道楽 創業は今から遡ること約三百七十年前、江戸時代の寛永年間で、石田光成の軍司として知られる島左近の邸宅跡に茶店を開いたのがその始まりと言われています。 当初、豊国神社や東本願寺など近くの寺社へ参拝する人々が立ち寄って一息つくのに好適だと賑わいを見せていた当店も、 五代目が青竹の料理を考案した頃より、料理屋としての名を高めることとなりました。 | |
京都市東山区 |
いもぼう 平野家本家 (ぐるなび) 元禄から享保の昔、私共の初代当主、平野権太夫が宮様の九州御幸にお供した際、持ち帰った唐芋(とうのいも)が京の地味にかなって立派に育ち、形が海老に似ていることから海老芋(えびいも)と呼ばれる様になります。 この芋を宮中への献上品、北海道産の棒鱈(ぼうだら)と炊き合わせたのが、「いもぼう」の始まりです。 まさに南と北の出会いのもの、先人の知恵が生きる料理、それが京名物「いもぼう」なのです。 | |
京都市東山区 |
総本家ゆどうふ 奥丹 創業360年の伝統を受け継ぐ湯どうふの老舗。 | |
京都市東山区 |
株式会社 美濃吉 京懐石 美濃吉、創業享保元年(事業歴280年)。 八代将軍吉宗の時代に、秋田佐竹の流れをくむ佐竹十郎兵衛が、美濃の国(現在の岐阜県)大垣から京へ移り、 三条大橋のたもと(現在の縄手通り)の一角に腰掛茶屋を開いたのが「美濃吉」の始まりといわれています。 | |
京都市東山区 |
京職味 菱岩 (ぐるなび) 京の都に独自の美しい食文化が育ってきた中、当「菱岩」は、天保初年(1829年)創業。 | |
京都市東山区 |
料亭 左阿彌
(ぐるなび) 嘉永2年創業。円山公園の高台に建つ「左阿彌」はその昔織田信長の甥、頼長が風流を楽しみつつ余生を過ごした館です。 | |
京都市東山区 |
株式会社 はり清 京料理「はり清」が万広寺大仏殿の近くに始めて茶店を構えましたのは万治二年(一六五九)のことであります。 その当時の主人森本長治郎は、山城国紀伊群大路村(いまの京都市伏見区横大路町)の在に代々森本与市右衛門を名乗っていました庄屋の次男で、 この年に分家して横大路から東山に移り、新日吉別当の妙法院宮より御領内の大仏耳塚通り袋町の地を拝借いたし、 大仏界隈の荻見物や清水寺・鳥辺野詣での客のために竹敷を開いて茶店を構えたのが、そもそもの始まりであります。 | |
京都市伏見区 |
有限会社 魚三楼
(ぐるなび) 魚三楼は江戸時代の明和元(1764)年、讃岐出身の初代・三郎兵衛が創業。 京料理の伝統を伝えて240余年、旬の素材の持つ本物の味を追求しています。 | |
大阪市北区 |
相生楼 (ぐるなび) 創業180年の伝統。江戸時代より大阪の味を今に伝える老舗料亭。 | |
大阪市中央区 |
株式会社 美々卯 大阪・堺で200年続いた老舗料亭「耳卯楼」を大正13年に先代平太郎が麺類専門店として「美々卯」と改め、1958年3月に株式会社美々卯として設立されました。 | |
大阪市中央区 |
吉野寿司株式会社
(ぐるなび) 天保12年創業の大阪寿司の老舗。タイ、アナゴなど高級な素材で完成させた押しずしが、今に伝わる箱寿司の元祖となる。 | |
大阪市中央区 |
花外楼 江戸天保年間に創業し、木戸孝允・板垣退助・大久保利通・伊藤博文ら明治維新志士たちの集いの場であり、明治憲法が生まれる基礎となった大阪会議は当社にて開催。 そのときの成功を祝って木戸孝允が『花外楼』と命名。 | |
大阪市中央区 |
割烹 うおまん (ぐるなび) 創業寛政5(1793)より、二世紀余りを数える「うおまん」の歴史。 それは幕府から旅籠茶屋の認可を受けるにはじまり、往時は旅人の休息の場として大いなる賑わいを見せました。 風雅な料理は宮家、大名、豪商といった方々の間で人気を博し、その名を広く世に伝えるにいたりました。 | |
大阪市中央区 |
中之島 竹葉亭 中之島 竹葉亭 江戸末期創業のうなぎ料理、日本料理の老舗。うなぎの竹葉、竹葉亭のうなぎと親しまれております。 | |
大阪市中央区 |
たこ梅 たこ梅は、弘化元年(1844年)に「おでん」と名物「たこ甘露煮」の店として創業しました。 「さえずり」「ころ」などの鯨をはじめ、旬の食材をつかった四季折々のおでんをお楽しみいただけます。 | |
大阪市中央区 |
株式会社 本家柴藤 享保年間創業うなぎ及び日本料理の老舗十五代目 本家柴藤。八代将軍 吉宗が愛した鰻の老舗 将軍家に川魚を献上した時代から300年。鰻料理を始めて現在14代目。 | |
大阪市西区 |
小鯛雀鮨 すし萬 河内屋長兵衛が現在の横堀2丁目付近に鮮魚店「河内屋」を創業1653(承應2)年。 | |
大阪市西区 |
天ぷら 一宝 (ぐるなび) 創業1850年以来、五代にわたり(現四代目主人)、昔乍らのお座敷天ぷらを、贅沢なしつらえの中でお楽しみ頂いております。 | |
大阪府堺市 |
南地 丸三楼
利休の生まれた堺の地で安政年間に創業しました丸三楼は茶懐石の伝統を継承するべく日々精進しております。
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神戸市中央区 |
株式会社 西村屋フーズコム 創業百四十年−城崎西村屋、山陰を代表する老舗の宿のおもてなしの心をそのままに、神戸の雰囲気が色濃くただよう旧居留地に再現。 落ち着いた雰囲気の茶寮で点心と鍋懐石をご用意いたしております。 | |
兵庫県明石市 |
株式会社 大善 日本有数のあなごの産地明石で、文政2年の創業以来焼きあなご一筋、代々受け継がれた製法にこだわります。 | |
奈良市 |
株式会社 柿の葉ずし
奈良を味わう店 倭膳たまゆら
平宗は江戸時代末期、文久元年(1861)奈良県吉野町上市ですし、川魚、乾物の製造販売業の営みを始めました。 今から約140年前のことです。その後吉野かわ沿いに料理旅館を始め、鮎料理、山菜料理等を供しておりました。 その中で料理の一品として吉野地方の各家庭で作られた柿の葉ずしを遠来の客に提供することから 広く全国に柿の葉ずしが知られるようになりました、明治時代のことです。 | |
奈良県吉野郡吉野町 |
株式会社 八十吉 八十吉は嘉永四年より修験道の里、吉野山で吉野葛製造を創業致しております。 |